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【山岳部】 山行記 ~北アルプス夏合宿(槍・穂高連峰)~

2021年8月19日(木)

こんにちは!主将の梶村です! 8/5~8/14に長野県の北アルプスに合宿に行ったので報告です。

個人的には二年生で入部し、去年は大学からの部活動自粛要請に伴い断念した北アルプス合宿だったので、三年生にして初めてのそして念願の北アルプスでした!アタック日はすべて晴れで大満足でした。

 


 

日程概要

泊数

日付

内容

泊地

8/5

移動

フェリー

8/6

移動・入山

横尾

8/7

北穂高岳

涸沢

8/8

奥穂高岳・前穂高岳

涸沢

8/9

移動・停滞

横尾

8/10

停滞

横尾

8/11

槍ヶ岳・下山

ホテル(松本)

8/12

移動

深夜バス

8/13

移動

フェリー

8/14

移動

帰福

 

コースタイム着時間・地名・発時間

① 福大前駅12:00~天神高速バスターミナル13:30~17:00門司港(フェリー)~

➁ 5:30大阪南港~梅田阪急三番街(高速バス)7:00~13:50上高地~15:10山のひだや15:25~17:21横尾

➂ 横尾4:35~7:24涸沢8:35~11:45北穂高岳12:42~15:18涸沢

➃ 涸沢4:50~6:36穂高岳山荘7:00~7:25奥穂高岳7:58~10:07前穂高岳11:17~12:39奥穂高岳13:03~15:57涸沢

⑤ 涸沢3:00~5:44横尾

⑥ 横尾停滞

⑦ 横尾0:57~2:06槍沢ロッヂ2:10~5:10槍ヶ岳山荘5:29~6:00槍ヶ岳6:15~7:13ヒュッテ大槍7:23~8:23水俣乗越8:25~9:55槍沢ロッヂ9:58~11:03横尾11:38~12:30山のひだや13:45~15:13上高地17;30~19:10JR松本駅

⑧ 松本(深夜バス)22:30~

⑨ 7:10大阪(フェリー)17:00~

⑩ 5:30門司港~帰宅

 

参加メンバー

4年隈本SL 3年梶村CL 2年手塚、平井、LARRY CHAN 1年井分、岩元、福田、松井 計9名

 


以下日別詳細(最初に言っときますが、これ長いです)

➀ 8/5(木)

 本来ならば省略してもいい移動日。ただし九州から北アルプスに行くには日本のおよそ半分を移動しなければならないという、民族大移動っぷりなので書き記す。部室に用があるラリーと家が近い梶村、手塚は福大前駅に集合。隈本、井分、福田とは七隈駅で、平井とは天神のバスターミナルで合流する。

行くぞと気合の入っている手塚とラリー

行くぞと気合の入っている手塚とラリー

バスターミナルには激励のために駆けつけていただいた石井OB、村岡会長、貝野コーチに会い、紅茶やクッキーをいただいた。数日後に上陸する予定だった台風8号9号兄弟について話し、小倉駅で落ち合う予定になっている岩元、松井が本当に来れるのか、間に合うのかということに一抹の不安を抱きつつ小倉駅行きのバスに乗り込む。バスの中でOBの方々から教えていただいたおすすめの気象予報サイトを見つつツイッター等で北アルプス周辺の情報収集をした。しばらく調べてみてまあ行ってみなわからんわなと思い、まだ提出していなかった小テストをスマホから回答した。自分でやっといてなんだが、すごい時代になったもんだ。無事小倉駅で岩元、松井に会い全員がそろった。ここからは名門大洋フェリーの無料送迎バスで門司港まで移動。GoogleMapで見ると門司はかなり独特な地形で山口の下関と繋がっており、地理オタクを自称する私は驚きとともに早くもこの合宿に満足感をおぼえ始めていた。バスは門司港に着いた。私は以前にも別用で名門大洋フェリーに乗ったことがあったが一年生をはじめとする多くの部員は見るのが初めてだったらしい。うおーでけーなど驚いていた。福田にいたってはもっと小さい船を想像していたらしく明らかにボートの写真を見せてきて、こんなの想像してましたなどと言っていた。福田、それフェリーやない。ボートや。

福田が見せてきた画像イメージ

福田が見せてきた画像イメージ

フェリーに乗りエコノミークラスの部屋に入ると、コロナ蔓延防止対策のため本来15席近くある席が6席に減らされていて、それぞれが透明なシートで区切られていた。おかげで一人のスペースが広々とありわれわれの大きなザックでも余裕をもって置けたのは助かった。こうした企業の努力に感心する一方でこの措置でどれだけ赤字になっているんだろうと思案したりもした。

瀬戸内海の夕景

瀬戸内海の夕景

部屋にはテレビがついており、オリンピックのクライミング競技男子決勝を見た。楢崎選手惜しかった!お酒を飲んだりご飯を食べたりトランプをしたりしておのおの就寝した。

ボルダリング第三課題を見る御仁

ボルダリング第三課題を見る御仁

➁ 8/6(金)

 朝、目を覚ますとすでにラリーと松井が起きていた。どうやら寝ていないらしい。私含めて3人でフェリーの食堂で朝ごはんのバイキングを食べた。調子に乗ってゆで卵を多くとりすぎてしまいラリーにひとつ食べてもらった。食後ふたりは朝焼けを見に甲板にでて行ったらしい。子供は風の子元気な子かい。

きれいな朝焼けは天気が崩れる予兆というがはたして、、

きれいな朝焼けは天気が崩れる予兆というがはたして、、

私はまだ寝ているメンバーをたたき起こしフェリーを出る準備をした。下船の列に並んでいると明らかに山に行くだろうというおじさまがいた。話してみると大阪から富山までツーリングをし立山に行くらしい。いいですなあなどと言いお互いの健闘を祈った。フェリーを降りると大阪の見慣れぬ地下鉄を乗り継ぐことになる。朝だからと寝ぼけていると乗り過ごしてえらいことになるなあと思った。阪急三番街のバスターミナルに着くときには時間帯がちょうど通勤ラッシュ。大阪の人たちが必死の形相でエスカレーターを下っていくのを見て、こりゃええもん見れたわいと少し嬉しかった。ここからはアルピコ交通のさわやか信州号に乗り込み一気に上高地へ。運転手のおじさんの程度の強い大阪弁が心地よかった。がどこかの休憩所で勝手にトランクを開けて煙草を取り出そうとしたとき、「勝手に開けたらあかん!」とかなりの声量で怒鳴られてしまった。おじさんごめんね。

バス車中からみえた太陽の塔

バス車中からみえた太陽の塔

バスの中はというと私たち以外に年配のおじさんがひとり。席も感染対策で一列ずつ空けてあるみたいでリクライニングし放題だった。昨晩寝てないラリー松井コンビも仲良く寝ていた。

なかなか寝ないやつ

なかなか寝ないやつ

上高地までのこの道中が意外とおもしろくて地理オタクの血が騒いできた。特に一番感銘を受けたのは長良川のサービスエリアに止まったことだ。長良川といえば四万十川、柿田川と並ぶ日本三大清流のひとつであり一級河川。ぜひ一目見てみたい、あわよくば鵜飼とかいないかなとサービスエリアをうろうろしたが出口が見つからない。バスに乗り遅れるほうがリスクが高いので断念してむなしく席に着いた。バスが発進してしばらくすると車中から見れた。ただ一瞬だったので残念。来年こそは。

一瞬見えた長良川

一瞬見えた長良川

感覚的には意外とすぐに上高地へ近づいてきた。白樺の樹間からアイキャッチの写真でもある岳沢、西穂、ジャンダルム、奥穂、前穂そして梓川、大正池の壮観な景色が見えた。うわあやっと来れたな、1年越しに、北アルプスへとひとり喜び噛みしめた。皆もテンションが上がっているようでパシャパシャ写真を撮っていた。上高地に着くと思ったほど登山客はいなかった。おそらく数日後に来ると言われている台風のせいだろう。

お出迎えしてくれる穂高連峰

お出迎えしてくれる穂高連峰

(なんにせ人が少ないのは個人的には嬉しい。日本アルプスは全体的に商業化、産業化が進んでいるイメージだ。どこを見ても人と人工物。安全のために設備を整えてる山小屋はじめ関係者の方々の努力と熱量には頭が上がらないし、実際その恩恵を受けているのは事実。しかし山は人なんぞに手を加えられて登りやすくされるなよ、もっと人を寄せ付けない残酷な存在であってよと思う。つまりそのはけ口がアルパインだったりするのだろうけど、現実この規模でアルパインの合宿をする技量が部員もとより私にない。すみません、思想が止まりませんでした。ここまで。)上高地についてからは動きやすい格好に着替え、登山靴を履いた。隈本と話した結果、翌日雨が降りそうだということで本来小梨平で一泊するところを今日のうちに横尾まで詰めて次日横尾から涸沢へ上げようとした。上高地から横尾まではあるのかないのかわかんないほどの勾配が続くだらっとしたトレッキングコース。17時ぐらいには着くだろうという算段でいった。上高地から徳澤、明神と歩く。

明神に現れたコンビYouTuber

明神に現れたコンビYouTuber

左手に見える梓川と前穂から降りている尾根の数々を見るとに海援隊の「思えば遠くへきたもんだ」が頭のなかを流れた。来る前に割と地図を読み込んだつもりだったが、どこが慶応尾根でどれが早稲田尾根かは結局下山までわからないままだった。

なにがなにかさっぱりだが明神岳前穂方向なのはわかる

なにがなにかさっぱりだが明神岳前穂方向なのはわかる

福岡大学山岳部が代々お世話になっているという山のひだやさんにお邪魔した。とても人あたりのいい女将さんに激励され素直に、がんばってきますと言えた。こういった人とのつながりの継承は大切にしていきたいなと思う。そしてまた横尾までの道を歩き始めた。たいしたこともなく横尾に到着。ちょっと思想が入るが、明神館や徳澤園のような立派な建物を山で見ると人間はびこってるなーと思ってしまう。まあ自分も加担してるんですけどね。

立派な徳澤園とミストと虹

立派な徳澤園とミストと虹

その加担の証にテン場代を横尾山荘に払いに行く。ひとり一泊2000円は大学生の財布には痛烈。調べてみると登山道の整備等も山荘の方々がやっているそうで、その手間賃込みなら歩かせてもらってるし払いますかいという気持ちになった。その日の夕飯はスパゲッティ。ソースを誰がどれを使うかのジャンケンなど人が多いのも悪くないなあと去年を思い起こして少し嬉しくなった。

白とびしてるがスパゲッティ

白とびしてるがスパゲッティ

ご飯のあとはそれぞれのテントに戻って20時ごろ就寝。テントは女子用、下級生用、上級生用の3張。合宿終わってから後悔したが下級生テントに上級生をひとり入れてみんなに生活技術を教える、次の日の出発にそなえて準備して寝るなどしとけばよかったなと思った。今回の合宿で浮き彫りになったのは生活技術の低さだったように思う。これは濡らさないようにするとか朝に備えるにはこうするとか居住性を高める工夫とか。反省点です。近い山行で教えていきます。

➂ 8/7(土)

 3時に起きて天気予報をチェックしてみると今日1日は天気がもちそう。涸沢に早めについて大雪渓を見ながら紅茶と煙草で一服なんてのもおつですなと考えながら朝ごはんを食べる。この日はそんなに行動する予定でもなかったからパンとコーンスープだけ。さっと食べてさっとテントたたんでさっと4時15分ぐらいには出発したかったが、持ち物の整理で時間を食ってしまった。横尾から涸沢の上りは実に快適だった。昨日の予報が嘘のように晴れている。

本谷橋より前穂方向

横尾大橋より前穂方向

木がずっと木陰を落としてくれているのでかなり涼しい。とはいえ食料、テントを歩荷しているのでそれなりにはきつい。ほどなくして右手に小川に木が渡してあり先には踏み跡がついているのを見つけた。横尾尾根の取り付きだろう。横尾尾根と言えば冬季バリエーションルートで人気があるコースというイメージ。また少し歩くと樹間から屏風岩がちらちらと見えてきた。私は今回の合宿で一番楽しみにしていたと言っても過言ではないのが屏風岩だ。見た目は奇岩と言ってもいいような巨大な一枚岩でまだ夜の暗さが少し残る中ずーんと佇んでいる。氷河が削り出したもので表面はかなりつるっとしているらしい。実際人気のある東壁の雲稜ルート、東稜ルートも基本エイドで登られる。来年の夏は登ってみたいな。

フォルダを見返すと10枚ぐらい撮っていた

フォルダを見返すと10枚ぐらい撮っていた

もうしばらく歩く。みんな若杉宝満歩荷をできただけあってまだへばってないかな。歩いていると次第に涸沢カールが見えてくる。高校だか中学だかの地理の授業で習ったカールだ。

涸沢に向かうFUAC

涸沢に向かうFUAC

晴れていると下からぐるっと前穂、奥穂、涸沢岳、北穂が見えるらしい。曇りがちだから全部は見えないかなあと思っていたら、涸沢ヒュッテについてた。ぱっと見だがテントの数はかなり少ない。

晴れているからか彩度が高い

事前情報によると涸沢ボルダーなるものがあるらしい。どこにあるかしらときょろきょろしながらテン場に行くと田中OBと高島OBと会った。翌日、ゴジラの背でおなじみの北穂東稜にいくそう。いつまでもアクティブに活動されてるOBの皆さんには本当に驚かされる。そしてみんなテントを張り終わってさあこれからどうしますかいってところで両OBより呼び出し。話は今日はまだ時間もたくさんあるし天気ももつから北穂を登ってみないかという提案。確かに登れそうだし私自身登ってみたいと思っていた。ささっと南稜ルートの時間を試算したところ登れそうだと判断した。みんなが登りたかったかは別にしてこの案は良いと思ったのでみんなを集めて計画変更の旨を伝えた。みんな登るとのことだったので大雪渓をバックに集合写真を撮っていただき、出発した。

謎のアベンジャーズ感

涸沢には2つの山小屋があってさっき通った涸沢ヒュッテともう一つ、小高いところに涸沢小屋がある。その涸沢小屋の右をずんずん進んでいく。夜に所狭しと立ち並ぶテントとその明かりを涸沢小屋から撮影した写真は涸沢の代名詞ともいえる。代り映えのしない急登だがしばらく登ると高度感が出てきた。後ろを振り返ると前穂、奥穂の山頂は隠れているものの前穂の北尾根と涸沢ヒュッテがきれいに見えた。

北尾根と涸沢 とんがってるのはたぶんⅥ峰

下りはここを下るのかと思うとちょっと精神的にしんどくなった。南稜取り付きの少し手前で井分が膝の不調、福田が体調不良を訴えたため先頭を歩いていた隈本SLと3人で涸沢に帰らせた。ずっと一番後ろについていた私が先頭になり最後尾を手塚に任せて続行させた。上級生は自分一人なのでペースを少し落として後ろを気にしながら歩く。山頂が近くなるほどに高度を稼ぐとずっと頭の上に被っていた雲が晴れ、北アルプスの雄大な山容を確認することができた。蝶が岳、蝶槍、常念岳の美しい稜線も見える。あそこを稜線歩きしても楽しそうだなあと思った。あいにくその他の山々も見えるのだがなにがどの山なのかわからなかった。初めてのアルプスだからという自分を多少恨めしく思いつつ、帰って分析してみようということでバシャバシャ写真を撮った。

雄大な自然に溶け込む手塚くん

地図上ではわかりにくかったもののどうやら北穂の南峰はサミットを通らずに迂回して北穂北峰に行くらしい。南峰は見た感じ一般登山道もなさそうなのでバリエーションなのだろうか。ラリーはここ登りたいですねえと言っていた。いや彼は合宿を通して岩や滝を見るたびに同様のセリフを吐いていた。そんなどこでもかしこでも登れるわけちゃうねんぞと思いながらも、アルパイン、バリエーションに興味を持つ部員の存在を嬉しくも感じた。山頂へは特にさあここからだというような感情にはならずに急登にひーこら言ってたら着いたという印象だ。山頂に出たが雲の中。風はそこまでだったのでよかったが、眺望はあまり楽しめなかった。北穂と言えば山頂から大キレット、東稜、滝谷が見えるはずと思い、雲の中だったが写真を撮った。

大キレットと

東稜と

滝谷

山頂にいたほかの登山客の方に声をかけ集合写真を撮っていただいた。集合写真とは言いつつも3人がいないので寂しく感じられた。北穂高小屋の断崖絶壁具合いに感心しつつさあ下ろうとすると見慣れたオレンジのヘルメットが登ってきた。隈本は涸沢に2人を届けた後、山頂まで登り返したらしい。驚きよりも困惑がぎりぎり勝つぐらいの感情に一瞬なったがここまで登ってきた仲間をたたえてもう一度写真を撮っていただいた。

北穂山頂集合写真 隈本入りver

下っていると雲が切れ日が差し込んできて、前穂、奥穂を明るく照らしているのが見えた。シャッターチャンスと思い写真におさめる。

前穂と北尾根セット

存在感ある奥穂

蝶常念方向

北穂道中はさまざまな高山植物が咲いていた

特に危なげもなく涸沢まで降りられた。下山中はずっといつでも出せるようにハーネスとザイルをつけていた。そんな恰好で涸沢小屋まで帰ってきたもんだから、おばさまもとい山ガールに訝しげに見られてしまった。こういう視線も悪くないもんだと意気揚々とテントまで戻り、夕食の準備をした。先に井分と福田が調理を始めておいてくれた。みんなが調理している間、私は手塚たちとテントの隣にあるボルダーをちょっと登ってみたりした。夕飯はカレー。最初は外で食べていたが小雨が降ってきたので下級生用の大きいテントにみんな入った。

ぎゅうぎゅうのテント

高所の気圧の影響で米はまあまずかった。いくら博多の人間とは言え米までバリカタにする必要はない。カレールーがスープカレーになっていたのは単なる調理ミス?食料については大幅に改善の余地がありそうだ。明日も早いので歯を磨いて早々に寝た。

 

➃ 8/8(日)

 朝3時、寒さで目を覚ます。さすがにジャージだけだと寒かったかと思い、寝袋の中に入れていた防寒着を着込んで外に出る。まだ空はうす暗く夜のよそおいだった。

北穂方向に見る涸沢 テントはやはり少ない

女子テント、下級生テントに行き皆をたたき起こす。この日は皆寝起きが悪く、出発時間が大幅に遅れることとなる。朝ごはんはマルタイの棒ラーメン。山岳部に入り知った味だが普通においしいし日常的に買っている。朝ごはんを食べ出発し、涸沢小屋の前を通りザイテングラードの取り付きまでだだっぴろいザレ場をとぼとぼ登っていく。

奥穂へいざ行かん

特に記述するほどの感想はない。昨日北穂から見たのと同じような景色だ。まあ穂高岳山荘まではそんなに距離ないし気合いれていきましょうやと声をかける。行きがけにすれ違ったおやっさんにメットの下に帽子をかぶると視界が狭まって危ないらしいですよと言われた。そもそもこんな大学生に小言を言うおやっさんはどうかと思うし、言うことに一理あるが、強い日差しで目を細めたほうがあぶねえだろと思う。まあしかしおやっさんのおかげで単純な登りに感情の起伏が生まれて思考が暇に押しつぶされることはなくなったので感謝する。おやっさんについて考えているとザイテングラード取り付きに着いた。ここからは気を張って慎重に登る。涸沢の掲示板に、1週間ほど前に下山中の滑落死があったと張り紙があった。山は人が簡単に死ぬところとはよく言ったもんだ。

ちなみにこんな張り紙もあった

そんな死の可能性を確かに感じるところを登りながらも、空には時折太陽が顔をのぞかせて気分は爽快だった。

ザイテングラードより、後ろを振り返ると

穂高岳山荘にすぐ着いた。涸沢側は終始曇り。残念だったがトイレに行こうと山荘の裏手に回ると笠ヶ岳方向はかなり晴れ間が見えてきれいな雲海も見えた。福田が来たので写真を撮ってもらった。

雲海とフクダ

ひとしきり休憩すると奥穂への登りへ行く。早速山荘から見えていた梯子が何本もつながった登りである。かなり急峻でびびった。

見えづらいが岩と梯子

登り終えると普通の岩場のような登山道だった。霧のなかで周りの景色が見えず、ここが3000mを越えるところだということを忘れてしまう。しばらく歩いていると気分が悪くなり頭痛がしてきた。行く前から予感していたが私は気圧変化に弱い。平地でも偏頭痛に悩まされている。奥穂山頂までは30分といったところだから山頂で頭痛薬を飲もうと思った。奥穂山頂に着いた。山頂には祠とその横に展望図が埋め込まれていた。

かなり遠くの山々まで書かれていた

山頂には西穂、ジャンダルム方向から来たと思しきハーネスと登攀具をつけた人たちもいた。山頂も相変わらず霧に包まれているのでしょうがないが近くにいた人に集合写真を撮っていただき山頂付近からはずれた所で休憩した。

奥穂集合写真

平井から救急箱をもらい頭痛薬を飲んだ。祠のところからはブロッケン現象が見えたらしく、丸い虹の中に自分の影が入るのなんて現象でしたっけとほかの登山者に尋ねられた。井分が昨日のように膝が痛むということで穂高岳山荘に帰らせた。かなり不安だったがたいした道ではないと判断したため一人で帰らせた。ゆっくり慎重に行けよなと井分に言い前穂への道を進んだ。奥穂と前穂のあいだは吊尾根という尾根でつながっている。稜線上はかなり風が強かった。道もかなり岩むき出しでクライミング要素があるところだった。山側を向いて梯子を下るように降りようね。

霧と風のなか進むFUAC一行

前穂と奥穂は花の百名山に入ってもいいぐらい様々な高山植物の花々が咲いていた。右手にはちらちらと西穂とジャンダルムが雲から見え隠れしている。正直この吊尾根はかなり心肺機能にこたえた。少し進むごとにぜーはーする。一歩一歩がおもったよりきつい。日頃の行いのせいなのか高所のせいなのか。みんなはそこまできつそうな表情を見せずに元気に登っている。紀美子平についた。おそらく重太郎新道で岳沢から上がってきただろう人々が休憩していた。多くの人が紀美子平にデポし軽装ないしは手ぶらで前穂に登っていて驚いた。さすがに何かサブザック的なもので必要なものは携行したほうがいいですよと思ったが、口に出すとさっきのおやっさんなので黙って見ていた。

紀美子平あたりから見た明神岳方向の尾根

吊尾根は周囲を見渡しながら闊歩する余裕がまだあったが紀美子平から前穂の登りは手も使っての軽いクライミングだった。まあまあ険しく、それまで元気だった部員もまだすか~あれですか~と疲れが出てきた様子。まだだよ~あと5時間登りね~と返しながら登ると40分ぐらいですぐ山頂に着いた。山頂はかなり広々としていた。山頂からは奥穂よりも景色が楽しめ北尾根、下には横尾も見ることができた。

救助ヘリらしいものも飛んでいた

気づけば頭痛はなくなって体調は回復した。休憩して他の登山者の方に集合写真を撮っていただいた。本当に山でお会いする方はみなさんお優しい。私も写真撮影を快く引き受けられるように写真スキルを身につけたいものだ。

前穂山頂集合写真

ここからの下りで隈本がなぜかセミを発見した。目が赤く、背中に黄色い模様が入っている。新種かもしれないから持って帰ろうとはしゃいでいたが、こちらとしては呆れてものも言えない。ここ国立公園やぞとだけ言い、おいていかせた。呆れてものも言えないという状態にはじめてなるのが前穂高山頂直下とは夢にも思わず、うっすら感動すら覚えた。

達者でな

適宜休憩を取りながら紀美子平、吊尾根、奥穂と来た道を戻る。帰りがけに岩元と同じ靴をはいた明るい女性に話しかけられた。24歳になる息子さんがいると聞いて一同驚く。年齢を聞くと50代前半とのこと。山を登る人は皆さんお若いのだなあと感心した。奥穂山頂に戻ってくると行きよりも人が多かった。穂高岳山荘につくと井分が待っていた。穂高岳山荘は多くの登山客でにぎわっていた。

道中にあった本物の登山家にしか抜けない伝説のピッケル(?)

私も山荘で奥穂の手ぬぐいを買った。ここなら電波が届くとOBと各SNSに報告を入れ、天気を確認すると15時に少し雨の予報。少し時間が被りそうなので元気なメンバーの先発組4人と下りの体力が不安な後発組3人に分け隈本SL、梶村CLはそれぞれ分けることにした。先発組に先に降りてもらい夕食の準備をしてもらう算段だ。私は後発組に入る。特に前日に体調不良だった福田にはザイルを付ける。ラウンドの経験がほとんどなく、やっておきながらかなり不安。何もせず落ちられるよりましかと、身支度をしてザイテングラードより下る。

お散歩

道中なぜか3回ぐらい穂高岳山荘までどれぐらいですかと尋ねられた。その必死な様子と大きなザックを見るに上高地からワンデイで上がってきたのだと思う。あと少しですよ頑張ってください、お気を付けくださいと励ました。涸沢までの道中は皆この2日で嫌というほど見ている風景なのでさすがに写真を撮らない。ザイテングラードから降り、涸沢小屋に向かう途中、14時40分ごろだったと思うが、小雨が降ってきたので全員雨具を着た。高島OB、田中OBに迎えられ無事に涸沢に帰ってきた。今日の終わりのミーティングをした後、両OBに涸沢ヒュッテで飲み物とソフトクリームをおごっていただいた。久々に食べる甘いものにみんな喜んでいた。私は両OBから山岳部の組織としての在り方をお話しいただいた後、雪渓のポイントと歩き方を教えていただいた。恥ずかしながら雪渓を見るのも初めてであれば歩くのも初めてだった。ここで聞いたお話は後日まとめて皆と共有したいと思う。

ベルクシュルント ここの上に乗ると危ない

この日の夕食はシチューとレトルトごはん。昨晩のカレーより確実においしい。雨が強くなってきたのでそれぞれテントに入る。私は隈本と今後の天気と行動について話した。翌日は朝の6時から強い雨が降る予定だという情報を穂高岳山荘でゲットしていたので2時起き3時出発で、予定にあったババ平までではなく手前の横尾までとした。翌朝も早いので撤収の準備を済ませて19時には眠りについた。最近身についたが明るい中でもすぐ寝られるようになった。何気に大切なスキルだと思う。隈本はマットの薄さと下にある石に嘆いていた。

⑤ 8/9(月)

 朝、2時に目を覚ますとすぐに寝袋とマットをたたんでザックをテントの外に出した。みんな起きている様子で手際よくテントをたたみ、今日は下るだけで朝ごはんをわざわざ作る必要もなしと判断し、行動食をさっと食べ水を汲み、黎明の涸沢をあとにした。

さらば

暗い山道を下るというのは意外と疲れる。足元がよく見えないし明るい時よりも格段に気を遣う。特に自分の使っていたヘッドライトには悩まされた。安物だからなのかのかエボルタを入れてもすぐに暗くなる。これは松本に下山したら買い換えようと思った。今日の行動は3時間だけだと思うと自然と足取りが軽くなった。横尾まであと30分のところで雨が降り出してきたのでテントを持っているメンバーだけ先に横尾へ小走りで行く。横尾に着いてすぐ橋の下のエリアにテントを素早く建てた。朝ごはんを食べる時間を決めて万事解決、とテントで寝ていると隈本が起こしに来た。どうやらテントが水没しており、下級生テントが水びだしになっているから移動させたと。私の寝ていた上級生テントは新品で水が入ってこなかったが下級生テントはいつから使っているのかもわからないようなかなり古いもの。防水、撥水機能が落ち、水が侵入してきたのだろう。テントをでてみるとテントを張っていたところにでっかい水たまりができていた。いそいでテントを移動させて少し整理をし、朝ごはんを食べた。

他人事ではないが面白い光景

食後まあ暇になる。トランプをするものもいれば寝てるやつもいる。私もしばらくテントで寝ていた。山荘のトイレに行き、貼り紙が貼ってあったのでよく見てみると松本市のFreeWI-FIのIDが書いてあった。こんな山奥でWI-FIが使えるとはすごい時代になったもんだ。まあよく考えてみればすでに電話線が通っていればそれを介して使える。どうであれ人類の進歩を感じた。電波が入ると分かってからはOB、各SNSで横尾で停滞していると報告をし、天気予報を見て、返していなかったラインを返した。特に母親は某大山岳部のOGということもあり、今回の山行を理解したうえで心配してくれていた。感謝。天気はというと今日明日いっぱいは強い雨と風の予報。やることなんもねえなと思い山荘の方へ行ってみると食堂のサービスもやっているらしい。せっかくならと思い一度食べてみたかった山荘飯を食べてみることにした。隈本とスタミナ丼を注文してみる。隈本は料理が届いてからうわー下山するまで肉食べたくねーなどと言っていた。そんなこと言われたら誘った自分のばつが悪いので無理やり食わせた。味はまさしく五臓六腑に沁みるようなうまさで、確かに下山までは食べたくないような罪の味に感じた。

めちゃくちゃうまくて後悔したのでもう山荘飯は食べません

しばらくするとほかのメンバーも集まってきて売店でお菓子を買ったりしていた。山荘に長居するのも気が引けたので外で一服しテントに帰って寝た。4時ぐらいに起きて天気を確認してみると明日は雨量が朝方30mm、正午には12mmに減る模様。本来の計画であれば明日は槍アタックで明後日に下山だった。しかしこうなると雨の中での行動になり、また山頂付近は風が平時20ノットぐらいになることが予想された。槍ヶ岳山頂付近にいる西稜登攀隊のOBに連絡を取ってみてもかなり雨風が強いらしい。

この後テントが完全に壊れたらしい

隈本と話し合い、そこで3パターンを考えた。1つ目が翌日の朝の天候、予報を見ていけそうなら行ってダメそうなら引き返してくる。2つ目が予報も天候をみても無理そうなら翌々日に槍アタックし下山まで済ませる。3つ目がそもそも登らず翌々日に下山する。翌々日は1日中晴れの予報でそこからまたずっと大雨の予報。横尾から槍ヶ岳の往復を計算してみると12時間ぐらいで、上高地まで下ると考えると約15時間行動になる。また翌々日以降も大雨だと交通機関の影響で上高地から出られるか怪しい。このことは出発前に貝野コーチと話していた。松本行きの最終のバスが17時半だったので、翌々日にこれをするには余裕を持たせて0時起き1時出発にすべきだった。しかも15時間行動なので体力があり、かつスピーディーに動けるメンバーでアタック隊を組んでいく必要があった。個人的には計画を完遂させたかったし2つ目の可能性が低いわけでもなかったので、みんなに翌々日に槍アタックして下山まで済ませるという案を伝えた。渋るメンバーもいたが全員合意した。翌日の夕飯までにアタック隊に参加するか決めてほしいと伝え夕飯を食べた。明日も雨というほぼ揺るがない事実にうんざりしながらも明日アタックの可能性も考えて5時起床とし早く寝ることにした。

 

⑥ 8/10(火)

 5時に起床。起きてすぐ天気予報を確認すると今日の雨量は昨日見た時より上がっていた。こりゃ行けねえなと思い、下級生テント、女子テントに呼びかけて明日行くと伝える。一晩続いた大雨で下級生テントの状態はさらにひどくなっていた。現段階ではどうすることもできないのでとりあえず荷物を濡らさないように努力してほしいと伝え、朝ごはんはしばらく時間を空けることにした。下級生のみんなは一晩中雨に悩まされていたようで、すごい疲れていた。出発前にテントの状態を確認すべきだったが、後悔後先立たず。しのびねえなと思いながらもうひと眠りすることにした。今日も1日横尾に停滞。

何度も見た光景

翌日の出発を考えて17時には寝るつもりだったが、それまでは相変わらず暇だった。ずっとテントにいるのもなんなので、山荘の屋根の下でストレッチしてみたり屏風を眺めたり喫煙所にいたおにいさんと雨についての情報交換をしたりした。

何度も見た光景 その2

喫煙所で話していて気付いたが槍への登山道の状況が気になった。ずっと外にいると上高地方向から槍沢方向に行く人は多いものの逆が少ないのにも気づいた。これじゃ話が聞けない。じゃあ自分で見て確認すればいいじゃんと思い、一の俣まで川の氾濫がないか、道が崩れていないか確認することにした。一の俣まで50分とあったが実際には自分の足で何分かかるものか気になる。さっと雨具を身につけ、サブザックをからって歩き始めた。森の中に入ると登山道にでっかい水たまりがいくつもあり、道がまるで川になっていた。

濡れずに歩けるところがない

先行する大きなザックをからった登山客をばんばん追い抜かして30分で一の俣に着いた。道は崩れていなかったし時間的にもこんなもんかという感想。すぐ横尾へ戻って、道は大丈夫そうだったよとだけ言い避難小屋の軒先でゆっくりすることにした。しばらくするとラリーが来てしばらく一緒にいた。ただ会話の内容が無さ過ぎて何を話したか覚えてない。雨は強弱あれど常に降っていた。避難小屋の軒先に何時間もいた気がする。3時になり夕飯を作る時間になった。夕飯はスパゲッティを食べた。そういや前回横尾に泊った日もスパゲッティだった気がする。アタック隊の参加について聞いてみると手塚、ラリー、岩元の手が挙がった。隈本、梶村はもちろん行くので5人で行くことになる。明日は早い。もう一度みんなと行程の確認をし、残留組には行ってる間にテント等をたたむように指示をし寝た。

 

⑦ 8/11(水)

 10日の23時50分ぐらいに人の声で目が覚めた。どうやら下級生が起きており外にいるらしい。テントから出てみるとすでに朝食のラーメンを作り始めていた。えらい早いなと言うと井分と松井は寝てないですと返した。雨で浸水したテントの居心地が悪すぎたみたいだ。早くから準備してくれていたおかげで朝はとてもスムーズに始めることができた。トイレの前で朝礼をした。岩元はかなり眠そうだった。

岩元は寝起きが弱いらしい

暗い登山道はかなり怖かった。何がかというと熊の存在である。熊は昼夜関係なく活動するみたいだが、この時間帯に行動している他のグループもおらず、ここぞとばかりに熊も活動範囲を広げているかもしれないとかなりビビっていた。まさに孤立無援といった気分になる。しかし周りに景色が何も見えないからか、どんどん歩いても案外体は疲れないような気がした。槍沢ロッヂについたが誰も外におらず、ここだけ見ると確実に夜だなと思った。森を抜け、少し立ち止まって空を見ていると綺麗な星空が広がっていた。

スターダスト

寝て起きて星を見るとどうも不思議な感覚になった。みんなでヘッドライトを消し、星空を見て休憩した。昨日考えていたよりも早いペースで上がってこれていたので、このままいくと山荘あたりで日の出が見れるかもなと言って励ます。登り自体は斜度もそこまできつくなく普通の登山道と言った印象で、槍沢の川が昨日までの雨を集めてごーという轟音で流れていた。確かこの川は梓川の本流だった気がする。しばらく進むと川がなくなりだだっ広いザレ場に出た。少し歩くと下から殺生ヒュッテといかにも槍ですといったような形をした槍ヶ岳が見えた。槍ヶ岳を初めては見た感想は具体的ものではなくほぉだったのを覚えている。

「槍です」

空が少し白みだした。山荘までもう少しだがそこそこある急登。珍しく岩元がきつそうにしていた。ラリーを先頭にした際にとばしたせいだ。しかしラリー自身も少しきつそうにしていた。自業自得だバカめ。私も気圧変化のせいか体調が悪くなる兆しがあったので頭痛薬をのむ。

朝日に照らされるFUAC 岩元すんごいきつそう

道中の岩に槍ヶ岳山荘まであと何メートルと100m単位で書いてあった。このメートルの表記のおかげか気持ちすぐ着いた。山荘からは綺麗に朝焼けを見ることができた。槍ヶ岳が位置している北東方向以外のすべての北アルプスと朝空を拝めた。この辺にはなかったが雲海も広がっていた。

雲海と朝焼けをバックに映える槍ヶ岳

あそこにあるのが双六岳、あれが錫杖であっちが笠ヶ岳、こっちが蝶でその横が常念か、おっ向こうのほうに富士山があるなというように見渡せた。やっぱり来る前にある程度概念把握できていてよかった。20分ほどの長い休憩をとる。皆テンション上がっているようで写真をバッシャバッシャ撮っていた。もちろん私も。こういう風景を見ると山岳信仰や自然崇拝が生まれるのも不思議じゃなく思う。同じように山荘前で朝焼けの写真を撮っていた方に声をかけて槍ヶ岳をバックに集合写真を撮っていただいた。

横一列になると肩組みたくなりませんか?

行動食を食べて山頂に向かった。山荘から山頂は一般登山道とは思えないような梯子と岩場の連続だった。山頂直前にしてこのアスレチック感、さすが槍ヶ岳と感銘を受けた。山頂に上がるとすでに山荘に小屋泊していたであろう人たちが朝焼けと雲海の晴れの北アルプスを満喫していた。私も見まわしてみる。ここから北アルプスのすべてが見渡せたと言っても過言ではない。日本の遥かから吹いてくるような微風を感じた。みんなに来てよかったなと健闘をたたえた。ラリーに至っては山岳部に入ってよかったと言ってもらった。金言。山頂は人が多いうえに狭く、長居もはばかられたので祠と奉納槍ヶ岳と書かれた看板と一緒に写真を撮っていただいて降りることにした。

槍ヶ岳山頂集合写真

この日は西稜登攀隊と表銀座縦走隊のOBの皆さんも槍ヶ岳に来ていた。さすがに私たちの到着が早く、山頂で会うことはできなかった。しかしやはり梯子や岩場を下るのにひやひやするのはどこも同じだ。ゆっくりと時間をかけ山荘にもどった。山荘では記念にとこれまた手ぬぐいを買った。奥穂のものとセットで部屋に飾ろう。ここからの下りはせっかくなので東鎌尾根を通って下ることとした。当初の計画では行きで通る予定だったが暗い中行くのは怖いし稜線上は風の心配があったため使わなかった。下っているとヒュッテ大槍に着いた。まあよくこんな稜線上に立派な小屋を作ったもんだなあと感心した。後ろを振り返るとさっきまでいた槍ヶ岳とその北側に伸びる北鎌尾根が見えた。北鎌尾根はバリエーションで人気のコース。来年の夏合宿にでもいってみっかと考えてみる。

荒々しい山容の北鎌尾根

この東鎌尾根は右手に槍沢、左手に天上沢があってばーんと視界が開けており、また道も梯子が多く歩いてるだけで楽しかった。今日が最終日なので壮大な北アルプスの景観を目に焼き付けるように見渡しながら歩いた。

眼下に梓川を望む

水俣乗越までアップダウンを繰り返しながら進む。道中、石碑と大きい鉄杭があった。よく見ると山田惣太郎の字があった。確か東鎌の登山道整備に尽力された方だった気がする。私は山に行く前に地形を読み込んでその山の歴史について調べていろんな登山道やバリエーションルートを眺めるのが好きだ。その方が解像度が上がって見え、登山中の楽しみが増えると思う。ほかの部員にもぜひそうして欲しい。

鉄杭に刻まれる山田惣太郎の文字

そうこうしていると水俣乗越についた。ちなみに最初は乗越の読み方がわからなかったがのっこしと読む。稜線上で一番低いところで鞍部、コルともいう。超ちなみに穂高岳山荘があるのもコルで白出のコルという。ここを右手に曲がる。左手にも踏み跡があったが調べてみると北鎌への道らしい。ここからの下りは急だったうえに木々に覆われており涼しいのはいいがなかなか疲れた。手塚もすごい嫌そうにしていた。かなり長く感じたが槍沢の登山道の合流点にでたので休憩。陽が上がっているのでいく時に見えなかった槍沢の激流具合が見えた。これの横をよくわからないまま登っていたと思うとうすら怖い。ここからは下りも緩くなる。難所も乗り越えたということでみんなリラックスした様子。変な挨拶をする選手権をしていた。キャプテン的にはやめたほうがいいとおもうよ、ウン。槍沢ロッヂに戻る前に赤沢岩小屋なる遺構があった。行きにも見つけたが暗くてよくわからなかった。近づいてみるとかなりでかい岩でちょうど屋根のようになっていた。その昔ここで槍ヶ岳に行く人々は露営していたらしい。

すぐボルダーしたがるやつ

説明文を見ると芥川龍之介も訪れたとか。いや芥川龍之介、槍ヶ岳登ったんかいと思った。芥川の記述が青空文庫にあったので貼っておく。芥川の紀行文 。描写が読みやすく面白い。槍沢ロッヂについて休憩。望遠鏡と槍が見えるよの看板。覗いてみても何も見えなかった。がふつうに肉眼で見えた。なんでやねん。

なんでやねん

道中には槍見沢や槍見河原などあったが木が邪魔で見えなかった。おそらくこの名前が付けられた頃には木も低く見えていたのだろう。槍ヶ岳登山の歴史を感じる。一の俣まで帰ってきた。行く時のことを思い返して満足感を感じた。そして相変わらずの水量。

一の俣の橋で

だらっとした一の俣から横尾にいたる道をぼちぼち歩いていると横尾に着いた。残留組はテントをたたんでくれており、荷物の整理もあらかたしてくれていた。少し休憩し自分の荷物をまとめて、上高地へ向かった。合宿の終わりが近いことに感傷にでも浸りたかったが20キロほどの歩荷をしてるので余裕がなかった。そもそもすでに10時間行動しているので腹が減って仕方がなかった。岩元に下山したら何が食べたいですかと聞かれ中華と答えると余計に腹が減った。明神で行きと同じように山のひだやさんへ寄り、下山の挨拶をした。女将さんのご厚意でアイスティーをいただき、疲れを癒す。

氷を楽しめるのは人類の英知

いろいろ話をして、女将さんに明神岳と山のひだやをバックに写真を撮ってもらい、明神を後にする。ここの光景は行きも見たし疲れているので、下を見ながら井分と福田が野球選手の名前でしりとりしているのを永遠聞いていた気がする。河童橋まで来るとかなり大勢の観光客がいた。晴れているからだと思うが、私たちのようなでかいザックを担いだ薄汚い登山客はいなかった。みなマスクをし、こぎれいなワンピースなんか来ている人もいて、普通に避暑地感覚で利用する人が多いことに驚いた。ラリーと井分の歩調が上がったので私もついていく。ほかは河童橋を散策しているらしい。先に上高地のバスターミナルに着いたので軽く着替え、待つことにした。何を食べようかと迷ったが手塚が行きがけに食べたいと言っていた半熟卵入りのカレーパンを食べてみることにした。山に籠っているとやはり揚げ物が食べたくなるのだ。一口食べるとカレーの風味と卵の黄身とパンの衣と油が口の中に猛アタックしてきた。一緒に買ったコーラでそれらを流し込むと爽快極まりなかった。コーラからすらすべての栄養素を吸収しようと体が反応している気がする。

大変美味でした(食べかけ失礼します)

そんなこんなで上高地周辺を散策しながら後続を待つ。喫煙所で持ってきた煙草の最後の一本を大事に吸う。後続が来たがそのころにはカレーパンは売り切れており、手塚は残念そうにしていた。終礼をし翌日以降のバス、フェリーの予約の確認をした。松本行き17時半発の最終バスに乗り込む。バスに揺られ気づくと新島々駅についていた。ここからはJRで松本まで移動する。なんだか呆然としており、下界におりた感動はなかったように思う。

旅情あふれる夜の松本駅

予約していたカプセルホテルに行き荷物を預ける。風呂に入り、数日分の垢という垢、汚れという汚れを洗い流した。さっぱりしたあとで松本の街でささやかな打ち上げをした。松本は緊急事態宣言が発令されていないらしく、酒類の提供もあった。こんなご時世ながらも打ち上げの場に甘えて酒をのんだ。ホテルに戻り、OBや身近な人たちに下山の報告をした。久々の清潔で快適な寝床に感動を覚える前に寝落ちた。

⑧ 8/12(木)

 (ここからは観光しながら帰るただの旅行記なので読む必要は特になし)習慣というのは怖いもんで誰に言われるでもなく5時に目を覚ました。しかしもう合宿は終わっているので二度寝ができる。再び目を覚ますと6時半。カプセルから出る。ラインを見てみると井分は5時ごろに新幹線でひとり実家のある岡山に帰っていた。祖父の法事があるらしいのは前から聞いていた。チェックアウトまで時間もあるしやることが特にないのでラウンジにおいてあった本を何気なく読んでみる。これがかなり面白く30ページぐらいまで読んだ。タイトルはもう「はい」としか言えないだった。帰ったら読もうと心に決めた。腹が減ったのでGoogleでこの辺の喫茶店を探していってみた。かなりこだわりの強そうなおしゃれな内装で、おいしいコーヒーとモーニングにありつけた。店を出た後周りを散策してみると八十二銀行という地方銀行があった。なんか見覚えがあるなと思えば、高校時代に友達から聞いた話で八十二という数字は第十九国立銀行と第六十三国立銀行の合併によるものだという、いつ使えるかわからない豆知識だった。約5年ぶりにその話を思い出しつつチェックアウトのためにホテルに戻る。これからは松本城に行ってみようということでチェックアウトを済まし駅のコインロッカーに荷物を預けて徒歩で向かった。GooleMapで城周辺を見てみると城下町らしいこまやかで直線的な道と外堀跡っぽい池があった。松本城は国宝らしく多くの観光客でにぎわっていた。天守閣に入れるようだが2時間も待たないといけないらしくそこまでの思い入れもないためスルー。ぐるっとお堀の周りを歩いてこんなもんかなという感想になってしまったが、国宝というだけあってとりわけ庭の整理がきれいになされていた印象だ。もうお昼の時間になっていたので近くの定食屋でとんかつ定食を食べた。定食屋のテレビで九州の雨の強さを知った。家庭的なご飯に大満足したあと、クライミングジムにいく組と公園にいく組で別れた。私は手塚、ラリーと少し離れたところにあるエッヂアンドソファという大きそうなジムに行くことにした。ついてみるとジムはスラブ、垂壁、緩傾斜、強傾斜、ルーフがあるかなり大きいジムだった。そしてショップも大きく、見たことないシューズやクラッシュパッドが売ってあって目新しくおもしろかった。手塚は新しいシューズを買っていた。私もBDのヘッドライトがあったので買った。おのおの好きなように登って登攀欲を満たした。私もさあ登るぞと4級5級を中心に登ったがなかなかうまくいかなかった。何が原因だろうといろいろ考えたが、単純に昨日まで槍穂高で合宿をしており疲れていると気づいたのはしばらくしてからだった。ふたりも疲れがたまっていたようで登れていない様子だった。登れないながらも楽しみ店を後にして松本にもどる。ほかはアルプス公園という大きな公園にいったらしい。イオンで待ち合わせることに。お城からイオンまでは城下町らしいぶらぶら散歩をするにはちょうどいい街並みだった。イオンの無印でチョークに汚れたズボンを着替えるべく短パンを買い、その日の夕食を食べた。荷物を取りに行き、家族への土産を買った。日本酒の大雪渓のカップがあったため試しに買って飲んでみることに。かなり後味すっきりでとても飲みやすかった。バスターミナルに移動し大阪行きのバスに乗り込んだ。バスの中では特にすることもないのですぐ寝た。

 

⑨ 8/13(金)

 大阪着いたが雨。とりあえず阪急三番街に大きいザックを置き、まず風呂に入ろうとスーパー銭湯を探していった。男専用らしく女子とは別れて風呂に入る。一通り入って最後にサウナに入ったが、そもそも痩せているのに合宿でこれ以上絞るところがないほど痩せたことを思い出しほどほどに出た。出て女子と合流すると、女子は調べた銭湯が閉まっていたようで申し訳なくなった。腹が減っていたので大阪観光客らしくたこ焼きを食べようとしたが時間が早すぎてどこもしまっていた。道頓堀に行けばあるかなということで移動。ひっかけ橋でグリコの看板を見て大阪やなーと思った後空いてる店に入ってたこ焼きを食べた。ここで海遊館と食べ歩きに分かれた。海遊館は意外と子連れの家族が多く、混雑していた。水族館にいくなど小学生以来のことでかなりわくわくしていた。検温のところで私だけ引っかかってしまった。なんで。再度はかり入ることができた。イルカやあしか、あざらし、ジンベエザメなどなかなか見られないものをみてかなり楽しめた。しかしいちばん感動したのは建物の構造だった。上かららせん状に降りてくるかなり奇妙な構造をしていた。土産を買って雨の中阪急三番街まで戻る。待ち合わせの時間を過ぎても食べ歩き組が帰ってこない。こりゃまずいなと思っていると遅れてやってきた。駅の構造が複雑だったからだろうが、かなり急ぎ足じゃないとフェリーの時間に間に合いそうにない。おまけに切符を買うだので改札でもたついていた。何しとるんじゃ。もたつき二名と巻き込まれた手塚はタクシーに乗って港まで来てもらうことにした。人事尽くして天命を待つと半ば悟っていた。我々は出発10分前になんとか乗船。3人も5分前になんとか滑り込んだ。なんやかんやあったが無事部屋に着き、売店で酒と夕飯を購入した。酒を飲みながらだらだらと部屋にあるテレビでもののけ姫をみて寝落ちした。

 

⑩ 8/14(土)

 目を覚ましたのは門司に着く10分前だった。急いで荷物を整理して下船の列に並んだ。この日福岡も雨が降っていた。港から小倉駅まで行きと同じよう送迎バスに乗る。まだ眠気が残る中バスを下ろされ、JRに乗り換えて博多まで。小倉で実家に帰る隈本とは別れる。眠いのか何なのかよくわからない状態で博多まで運ばれる。博多で実家に帰る松井と別れる。地下鉄に乗り込み、天神で平井と別れ、七隈線に乗り込む。各駅で一人づつ別れていくの文に起こすとなんか面白いな。そして七隈で福田と別れ、福大前駅で全員降りた。ひさびさ帰ってきたなという感想だ。手塚、ラリー、岩元の三人はこのまま部室に行き装備を下ろしていくらしい。私は体育館前でお別れして帰宅し、OBに報告をいれてベットに突っ伏した。

 

感想

 よーしと大肩回して書き始めたらえらい長くなってしまって、時間がかかったし疲れた。しばらく文字を打ちたくない。とりあえず計画は完遂できたし、初めての北アルプスは大満足だった。もちろん反省点はあるがそれは反省会で。とにかく時間も費用も掛かり、そんなしょっちゅう行ける場所ではないからこそ思い出に残った。また技術と経験を身につけて戻ってきたい場所だった。来年は登攀の定着合宿かなー

 順次編集し直し、写真等載せます。

いとしさを感じるデカザック

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